フランク・ウェバー オフィシャルウェブサイト(スマホ版)

Biography(バイオグラフィー)



(デビュー前)


 米・ニュージャージー州出身、ニューヨーク州在住のピアニスト、シンガーソングライター、コンポーザー(1951年11月16日生まれ)。幼少期より、音楽家だった父親の影響もあって日常的に音楽に触れあい、5歳よりピアノを習い始める。フランク・シナトラを聴きながら育ち、しばしば彼の歌真似を、周囲に披露したりする子供時代だった。その後はいろいろなポピュラーソングに親しみ、特にビートルズは大のお気に入りだった。10代には、クラッシックピアノを学びながらも、ジャズのハーモニーやインプロヴィゼーションの世界に魅かれるようになる。

 

 フランクは、モントクレア州立大学へと進み、そこではピアノ/コンポジション(作曲)をメジャー専攻し、フルートを副専攻した。また、初のプロフェッショナルバンドである「A Taste of Honey」に加入、ステージ活動をスタートさせる。ちょうどその頃、フランクの音楽人生に大きな影響を与えることになる、ジェイムス・テイラーの曲との出会いを経験。ハイウエイを走る車の中で、偶然流れてきたJ.T.の「Fire & Rain」を耳にした瞬間、車を停めて、しばらくは身動きできなくなったほど大きな衝撃を受けた。大学時代には、ソロとしても、幾つかのグループのメンバーとしてもプレイし続けた。その後フランクは、ニューヨーク大学にて、作曲のプライベートレッスンを受けるのと同時に、ジャズ界におけるピアノの巨匠、そして指導者としても名高いレニー・トリスターノから個人レッスンを受けることとなる。この時期からしばらくして、フランクにとっての初のリーダーバンド「Straight Life Trio」を結成。イーストコーストの多くのホテルやクラブでパフォーマンスを披露した。

 

 約一年半の活動後、トリオは解散。フランクは、その後もニューヨーク界隈の様々なミュージックシーンにて演奏し続ける。もっぱらホテルやクラブでのピアノソロがメインの中、ジャズヴォーカリスト「Ruth Waters」がいた主要なジャズトリオの一員に。また、かの有名なヴォーカルグループ「TheFour Lads」のロードツアーのバックアップトリオとしても活躍した。NYに戻ってからは、ジャムセッションの機会が格段に増え、仲間たちを携えながらピアニストとしての自分を確立させていく。この時期の記憶に残るギグとして、「Zoot Sims」や「Al Cohn」との共演、そしてニュージャージー州ニューアークの教会において、サキソフォン奏者のアイコンとして知られる「Rahsaan Roland Kirk」が挙げられる。


 ピアニストとして、彼が初期に影響を受けたアーティストは、ハービー・ハンコック、キース・ジャレット、マイルス・デイビス、フレディ・ハッバード。また、当時携わっていたコマーシャルソング制作の仕事では、シンガーとして、またオリジナルソングの作曲という面で、バート・バカラックやジョニ・ミッチェル、ジャクソン・ブラウンから影響を受けた。


 1976年、あるミュージックフェスティバルに、ニュージャージーのジャズグループの一員として参加した際、そこに「ファンダンゴ(後のディープパープルのメンバーが在籍)」というバンドも一緒に参加していた。彼らのマネージャーだったエド・ニューマークは、フランクがシンガーソングライターであることを知っていた上で、彼のステージを観た。そこで、エドはフランクの曲に深く感動し、ソロデビューに向けてのマネージメントをしたいと伝えてきた。

 

 若き日のフランクが、アパートの片隅で、日常で感じた様々な思いを書き綴ってきた曲たちは、エドのプロデュースの元、大手レーベル・RCAレコードから、アルバムとしてリリースされることになった。1978年、レコーディングにジョン・トロペイ、デヴィッド・スピノザ等、当時のニューヨークを代表する豪華ミュージシャンが勢ぞろいして作られたアルバム「アズ・ザ・タイム・フライズ」が完成。そのリリースとともに、フランクは待望のメジャーデビューを果たした。



 



(「As The Time Flies」、「Frank Weber」リリース)


 ニューヨークにおいて、フランクはコマーシャルソングの作曲及びヴォーカリストとして積極的に活動した後、遂にファーストアルバム、「As The Time Flies(1978年)」がリリースされることとなる。フランク本来の持ち味であるジャジーなエッセンスと、ロマンチックなメロディセンス、胸に響く歌詞、それに心地よく耳に届く歌声…と、十分な時間をかけて練り上げたデビュー作は、本人を含む、豪華参加メンバー「Steve Gadd(ドラムス)」「Anthony Jackson(ベース)」「Michael Mainieri(ヴィブラホーン)」「Lou Marini(サキソフォン)」「Luther Vandross(バックヴォーカル)」との素晴しいパフォーマンスとともに、リリース当初から、ファンはもとより、音楽専門誌などからも高い評価を受けた。フランクの創り出す音楽は、「洗練されたジャズピアノと、ソウルフルで感情を呼び覚ます歌詞の融合」と称賛を浴び、「The Hartford Courant」紙は、「申し分のない洗練された才能と、ポール・サイモンやジェイムス・テイラーにも通ずる印象的な作曲スタイル」と、フランクを讃えた。


 発売元のRCAは、初の試みとして、東海岸の25大学とタイアップした、このアルバムのプロモーションツアーを企画。レコーディングミュージシャンたちとともに、豪華ライブパフォーマンスを各地で披露した。ビルボードマガジンもこの企画を、「最も広範囲にわたる、計画的な大学遠征ツアーで、音楽ビジネス史に残る企画である」と記している。


 ツアーが続くタイトなスケジュールの中で、フランクは、同じインストゥルメンタリストとのレコーディングを見据えながら、二枚目のアルバム「Frank Weber(邦題:ニューヨークのストレンジャー)」リリースに向けて、オリジナル曲の制作に着手。お披露目のエネルギッシュなコンサートは、スタンディングオベーションをもって大絶賛された。あるレビュアーはセカンドアルバムを、「見事な職人芸が際立つアルバムで、トレンドに左右されない、今日のポップミュージックシーンにおいて類まれな才能を持つソングライターだ」と称賛した。前作よりも、曲づくりに費やせる時間が限られた中でも、多くのリスナーを驚かせた「テイク・イット・トゥー・ザ・リミット(イーグルス)」のリメイクをはじめ、ドライブ感と爽快感に溢れたナンバーから極上のバラードまで、ファンを唸らせる粒ぞろいの名曲を完成させた。


 この2つのアルバムは、やがて海外でもその存在を知られることとなり、ファンや批評家からも、時代を越えて愛聴される名盤となった。それらは、各地の文化圏で、独自のアイコニックなジャンルとして紹介され、そのジャズピアノスタイルとソングライティングが、ひとつのショーケースとして示された瞬間ともなった。


 





(80年代から3rdアルバムリリース〜現在まで)


 RCAレコードからのセカンドアルバムリリースと、その契約終了後、フランクは彼の原点であるジャズピアニスト・ヴォーカリストとしての活動の場を求めて、単身ヨーロッパへと渡る。そこでの一年半、彼はジュネーブ、チューリッヒ、ブリュッセル、そしてモンテカルロと意欲的に活動範囲を広げていった。スイス滞在中、彼は分析心理学の創始者「C.G.ユング・インスティチュート(ボーリンゲン)」を訪れる。もともとフランクには、若い頃から心理学に対する興味(夢分析、無意識のメカニズム)があり、長年に渡り自身の夢日誌と共に、ユングの哲学とコンセプト(アーキタイプ:人間の普遍的無意識の原型、シャドウ、集合的無意識の原型)から生まれるイメージやアイデアを音楽に取り入れてきていた。 実際、彼の2作目のアルバムからの「The Old Man」は、歳とった王様と高齢の賢者のイメージを、ユングが定義づける男性的なアーキタイプを参考にして作った曲である。デビューアルバムからの「So Many Sides」も、人間が持つ多面性の心(サイキ)を照らしている楽曲、そして「Reflectionof Myself」は、人間関係にみられる人間本来の心の投影を表現した曲となっている。この訪問をきっかけに、フランクは、彼の心の師の存在に触発され、真剣にユング心理学に基づいたサイコセラピスト(心理療法士)としての道を、ミュージシャンとしてのキャリアと並行して目指しはじめる。これを実現するには、長年に渡るアカデミックな裏付けが必要で、さらにそれが、1998年に彼をC.G.ユング・インスティチュート(ニューヨーク)に導き、同時にサイコアナリスト(精神分析医)としてのキャリアをスタートさせることとなった。フランクにとって、深層心理の世界と彼のソングライティングプロセスが交差する場所には、いつも人間の心と感情が、一番大切な要素としてあった。彼の創り出す曲すべては、心理療法のようなものであり、それは、人間関係から生まれる経験や様々な投影、そして期待感や希望からくるものである。しかし、彼の目指す中心的テーマは、常に普遍的で、刺激的で、捉え直していく愛のかたちなのである。


 フランクのミュージシャンとしての創造性は、サイコセラピストとしての多忙を極めても、決して衰えることはなかった。今思い返すと、むしろその時期は、彼の創造性のプロセスがより高まっていった時代だったのだろう。ちょうどサイコセラピストとして活躍し始めた時期にも、ニューヨークエリアにて、ピアニストとして、そしてバンドリーダーとして精力的に活動していた。また、ソングライティングにおいてもそれは同じで、90年代や2000年代にも、印象に残るレコーディング作品を、数多く残している。また、以前より傾倒していた、フィクションや詩のクリエイティブライティングにも没頭していった。更にフランクは、ピアノ・ヴォーカルのインプロヴィゼーションの指導者として、ニューヨーク州ポーキープシーにあるDuchess Community Collegeにて、指導に携わってもいた。


 2008年、1stアルバム「アズ・ザ・タイム・フライズ」の日本版ライナーノーツを執筆した金澤氏よりコンタクトがあり、新作リリースの話が持ち上がる。そして2010年、実に30年ぶりとなる新作「ビフォー・ユー」をVivid Sound Recordより日本限定販売でリリース。本来のジャズのスタイルを重視しつつ、さらに味わいの増したヴォーカル、深い詩の世界、デビュー以来変わらぬメロディセンスを、ファンのもとに届けた。



 以来、フランクは、二つのプロフェッショナルの顔をそれぞれに持ち合わせながら、彼がもともと目指していた音楽を「コンテンポラリー的要素とジャズのインプロヴィゼーションを組み合わせた音楽スタイル」と定義づけ、さらに進化し続ける「フランク・ウェバーサウンド」として創り続けている。

 



 フランクは、現在ニューヨークシティから50マイル離れたNY北部ハドソンヴァレー地区に在住。美しい川とマウンテンビュー、アーティスト達が集うコミュニティで歴史的な河川地区でもあり、静かで自然豊かな景色に囲まれながら、今日も作曲に励んでいる。




   


 


     


●洋楽データベース(アーティスト)/Frank Weber

●洋楽データベース(ビルボードヒット曲)「You Can Come Home To Me」

●Wikipedia(日本語版)



BACK