フランクは、モントクレア州立大学へと進み、そこではピアノ/コンポジション(作曲)をメジャー専攻し、フルートを副専攻した。また、初のプロフェッショナルバンドである「A Taste of Honey」に加入、ステージ活動をスタートさせる。ちょうどその頃、フランクの音楽人生に大きな影響を与えることになる、ジェイムス・テイラーの曲との出会いを経験。ハイウエイを走る車の中で、偶然流れてきたJ.T.の「Fire & Rain」を耳にした瞬間、車を停めて、しばらくは身動きできなくなったほど大きな衝撃を受けた。大学時代には、ソロとしても、幾つかのグループのメンバーとしてもプレイし続けた。その後フランクは、ニューヨーク大学にて、作曲のプライベートレッスンを受けるのと同時に、ジャズ界におけるピアノの巨匠、そして指導者としても名高いレニー・トリスターノから個人レッスンを受けることとなる。この時期からしばらくして、フランクにとっての初のリーダーバンド「Straight Life Trio」を結成。イーストコーストの多くのホテルやクラブでパフォーマンスを披露した。
約一年半の活動後、トリオは解散。フランクは、その後もニューヨーク界隈の様々なミュージックシーンにて演奏し続ける。もっぱらホテルやクラブでのピアノソロがメインの中、ジャズヴォーカリスト「Ruth Waters」がいた主要なジャズトリオの一員に。また、かの有名なヴォーカルグループ「TheFour Lads」のロードツアーのバックアップトリオとしても活躍した。NYに戻ってからは、ジャムセッションの機会が格段に増え、仲間たちを携えながらピアニストとしての自分を確立させていく。この時期の記憶に残るギグとして、「Zoot Sims」や「Al Cohn」との共演、そしてニュージャージー州ニューアークの教会において、サキソフォン奏者のアイコンとして知られる「Rahsaan Roland Kirk」が挙げられる。
RCAレコードからのセカンドアルバムリリースと、その契約終了後、フランクは彼の原点であるジャズピアニスト・ヴォーカリストとしての活動の場を求めて、単身ヨーロッパへと渡る。そこでの一年半、彼はジュネーブ、チューリッヒ、ブリュッセル、そしてモンテカルロと意欲的に活動範囲を広げていった。スイス滞在中、彼は分析心理学の創始者「C.G.ユング・インスティチュート(ボーリンゲン)」を訪れる。もともとフランクには、若い頃から心理学に対する興味(夢分析、無意識のメカニズム)があり、長年に渡り自身の夢日誌と共に、ユングの哲学とコンセプト(アーキタイプ:人間の普遍的無意識の原型、シャドウ、集合的無意識の原型)から生まれるイメージやアイデアを音楽に取り入れてきていた。 実際、彼の2作目のアルバムからの「The Old Man」は、歳とった王様と高齢の賢者のイメージを、ユングが定義づける男性的なアーキタイプを参考にして作った曲である。デビューアルバムからの「So Many Sides」も、人間が持つ多面性の心(サイキ)を照らしている楽曲、そして「Reflectionof Myself」は、人間関係にみられる人間本来の心の投影を表現した曲となっている。この訪問をきっかけに、フランクは、彼の心の師の存在に触発され、真剣にユング心理学に基づいたサイコセラピスト(心理療法士)としての道を、ミュージシャンとしてのキャリアと並行して目指しはじめる。これを実現するには、長年に渡るアカデミックな裏付けが必要で、さらにそれが、1998年に彼をC.G.ユング・インスティチュート(ニューヨーク)に導き、同時にサイコアナリスト(精神分析医)としてのキャリアをスタートさせることとなった。フランクにとって、深層心理の世界と彼のソングライティングプロセスが交差する場所には、いつも人間の心と感情が、一番大切な要素としてあった。彼の創り出す曲すべては、心理療法のようなものであり、それは、人間関係から生まれる経験や様々な投影、そして期待感や希望からくるものである。しかし、彼の目指す中心的テーマは、常に普遍的で、刺激的で、捉え直していく愛のかたちなのである。
フランクのミュージシャンとしての創造性は、サイコセラピストとしての多忙を極めても、決して衰えることはなかった。今思い返すと、むしろその時期は、彼の創造性のプロセスがより高まっていった時代だったのだろう。ちょうどサイコセラピストとして活躍し始めた時期にも、ニューヨークエリアにて、ピアニストとして、そしてバンドリーダーとして精力的に活動していた。また、ソングライティングにおいてもそれは同じで、90年代や2000年代にも、印象に残るレコーディング作品を、数多く残している。また、以前より傾倒していた、フィクションや詩のクリエイティブライティングにも没頭していった。更にフランクは、ピアノ・ヴォーカルのインプロヴィゼーションの指導者として、ニューヨーク州ポーキープシーにあるDuchess Community Collegeにて、指導に携わってもいた。